2015年6月24日水曜日

今日は何の日?「林檎忌、麦の日」

おはようございます。
今朝は変な夢を見て、こわばった体をギシギシ言わせながら起床したS信です。もうあんまり覚えてないけど、ファンタジックで恐ろしい夢だったような…どうせならいい夢見て幸せな気分で起きたいなぁ(笑)


それでは今日は何の日?本日はK上さんから。


6月24日 林檎忌、麦の日
歌手 美空ひばりの亡くなった日。
ヒット曲『リンゴ追分』から「林檎忌」、「ひばり」という名前に因み、麦畑が鳥のひばりの住処となることが多いことから、「麦の日」と呼ばれている。

美空ひばり
1937年(所和12年)生まれ、1989年没 本名加藤和枝
9歳でデビュー

1943年第二次世界大戦に父が出征となり、壮行会が開かれた際に歌を歌った。集まった者たちがひばりの歌に感銘し涙した。
それを見た母は、ひばりの歌唱力に人を引き付ける可能性を見出して、地元の横浜近郊からひばりの歌による慰問活動を始めるようになった。

その後、母は自前の「青空楽団」を設立、8歳で初舞台。翌年、1946年NHK「素人のど自慢」に出場し、予選で落選。審査員は「うまいが子どもらしくない」「非教育的だ」という理由で悩んだ挙句不合格にした。
横浜で行われたのど自慢大会終了後には、審査員古賀政男のもとに母子で駆けつけ、娘の歌を聴いてもらう。古賀は「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」「歌手になるなら頑張りなさい。」と励ました。

その後、神戸での興行に力を持っていた、暴力団 三代目山口組組長の田岡一雄にあいさつに出向き気に入られた。また、当時人気絶頂のボードビリアン川田義雄(のちの川田晴久)にも気に入られた。

そして全国的に人気を獲得し、江利チエミ、雪村いづみとともに三人娘とよばれるようになる。
その後は皆さんのよく知るところだと思いますが、
1980年代には相次ぐ肉親、知人の死に遭遇し、また、自身も病魔に襲われ、気力で歌い続けた。
体調が思わしくないまま迎えた東京ドーム公演、最後のシングル「川の流れのように」は記憶にあることと思います。

没後の1989年7月、長年の歌謡界に対する貢献を評価され、女性として初めてとなる国民栄誉賞を受賞。(歌手としては藤山一郎と二人だけ。)

CD76/1/1-35 今日の我れに明日は勝つ(美空ひばり大全集)
VT69/4/22 テレビ50年(美空ひばり逝去)


以上です。K上さんありがとうございます。

亡くなった日に直接名前を出さず、「林檎忌」や「麦の日」と言われているのが素敵ですね~(*^^*)美空ひばりさんの曲は川の流れのようにしか知らないけど、この人の歌唱力は本物だった、とはよく聞きます。一度生で聴いてみたかったなぁ。…しょうがないので、今日はAVセンターで、美空ひばりさんのCDを聴いて帰ることにしましょう!皆様もAVセンターへレッツゴー(^O^)/☆笑



AVセンター S信








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